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愛と力と偽善と献身と

日記

「持っている力を使わないのは公正か?」

               ――クラリオン

(アニメ『紅殻のパンドラ』第五話より)

癩者のベッドに寝て、恋人の閨のぬくもりと同じ心の暖かみで患者を暖める――そこまで思いきれるかどうか、が最後の決着だと僕は思っている。

新潮文庫『マルテの手記』より)

・かくも世界はどうしようもなく理不尽に襲いかかる訳であって、そのなかでどうやって生きていくかという問題であって、この前再び読んだ『NHKにようこそ!』の山崎君はそこにひとつの答えを与えていた訳なのですが、さてどうしたものなのでしょうね、という話でございます。

・目に見える人の苦しみを除くために大きな力なり金なりを求めるというのはわかりやすく、夢想的で、無力なのです。

・くらりんはかわいいです。

・人はそれこそ生まれながらであったり育ちの環境であったり、自分の行いであったり偶然であったりからそれぞれの能力を得ている訳であります。他者のそれを羨むのはかってなのですが、不毛です。

・福音ちゃんは純朴な天使でした。天使とは恐怖の象徴でもありましょう。

・本当は『国体論及び純正社会主義』の麺麭屑の一節も引用しようと思ったのですが、みつけられなかったのでやめました。

・私は「偽善」が嫌いです。けれど何が偽善なのかわかりません。

・駅前で募金を呼びかけている大学生などを見ると、それは違う、そういう気がしてならないのです。――「能力」の話はここで繫がっています。

・巫女さん巫女さん言っているのは『シャングリラ』の人柱の少女だとか『山椒大夫』の安寿姫だとかに見た「献身」を純化させてしまっているという部分が大きいです。けれど献身ってなんでしょう? 死ぬことでしょうか?

・無償の愛とはいいますが、それは人間に可能でしょうか? それとも神になることによって可能となるのでしょうか?

・献身とは性的倒錯とかわらないのではないですか。

・結局は自分のその力を思い思いに使うべきなのでしょう。たぶん自分が納得することが大事なのです。


<以下追記>

・我々は「掠奪」しているのでしょうか。

・さて例えばここにある一枚百円のチョコレートはアフリカなりのどこかで児童労働の成果としてできたものなのかもしれません。
以前テレビ番組でカカオ農家で働く子供達にチョコレートをもっていって食べさせるシーンを見た気がしますが、これをあなたは肯定しますか、それとも否定しますか。

・そこには笑顔がありましょう。けれど根本的にかれらから掠奪しているからこそかれらはチョコレートを食べたことすらないのでしょう。

・格差の是正だとか言うとき、さて私ひとりはそれに耐えられるのでしょうか。世界の富を全部足して一人一人に平等に割り振っていったとき、そこにあるのは今のような生活ではないでしょう。奴隷の上にローマの民主制が成り立っていたように、搾取の上に我々の生活があるのは部分的な真実でしょう。

・とはいっても、そう考えたとき、我々はどうすればよいのでしょうか。どうすれば道徳に悖らないのでしょうか? そんなことが可能ですか?

・でも、どうしても欺瞞的にしかみえないのです。ユニセフの「チャイルドスポンサーシップ」のCMなど、見てはとても気分が悪くなるのです。

<以上追記>