鴨川

夜の鴨川は怖かった。
河原を自転車で走っていくと、滝の近くを通るたび、ごうごうと響く水音にびっくりする。
こんなにこの川は激しかっただろうか、大きかっただろうか。
そんなことを思ってしまう。

夜の川は漆黒である。向こう岸や橋の上に明かりがあったとしても、その光は川面で反射するだけで、中まで照らすことはない。
闇は、見ているだけで吸い込まれそうで、ただ恐ろしい。

飛び石を探して河川敷を行くと、視線をたまに川の方へと遣るわけで、すると自然と進む道は川寄りになる。暗闇の中、自転車の燈火だけを頼りに進むと、突然目の前に人の座っているベンチが見えてきたり、茂みが現れたりするのであった。そして、いつの間にやら川に近づきすぎていて、落ちる恐怖に晒されるのだ。

  * * *

……私は飛び石を探していた。何ヶ月か前にも飛んだ鴨川の飛び石を。
色々あって虚無としか言えない気分になっていたから、むかし慰めを与えてくれたその飛び石を探して、自転車を走らせていたのだった。

  * * *

荒神橋のあたりと記憶していて、たしかに荒神橋のあたりに飛び石はあったのだが、少し渡ってみるとそれは違うものだと分かった。

飛び石を渡っていくと、真ん中あたりで近くに舟型の石がある、そんな飛び石を探していた。
いつだったか、その舟のうえでざわめく心を安らげた。
それを繰り返したくなったのだった。


……果たして、それは丸太町橋より更に少し下ったところにあった。単なる記憶違いであった。

私はそれを真ん中、舟のあたりまで渡る。
水量は、先ほどの飛び石のところほどにはみえなかった。流れが少し反対の岸のほうに寄ってていたからだろうと思う。
ちょうど舟の前の石へと飛んだとき、横でぼちゃんという水音がした。驚いたが、落ちずには済んだ。残された波紋を見て何かの魚がいたのだとわかったが、流れの中は、やはり何も見えなかった。

石の上に座ると、流れは近くなった。
いつだったかのように、舟まで飛び移る勇気を、今日の私は持っていなかった。


ふと思い立って、左手で流れに触れようとした。……怖かった。水に触れてしまうと、文明に守られた私という存在の不可侵性が破れてしまうような気がした。私がこの大きな川の上にあってなお乾いているそのことが、安全ということの表象であるかに思えた。
しかし、触れてみた。
触れてみれば、なんということはなかった。
神社のお手水のような気分になり、次は右手を入れてみた。
右手を上げると、なにか砂のようなものがついたことが分かった。
もう一度川に浸して洗い落としてしまえばいいか。そんなことを考えたとき、何故であろう、私は急に恐ろしくなった。私は石を急いで飛んで岸へと戻った。

――祓ひ給ひ、清め給へ。守り給ひ、幸へ給へ。

そんな祈りの言葉を唱えたあと、私はその場から逃げるように帰った。
濡れたままの手で触ってしまったリュックサックからは、学校のプールの後のなつかしいにおいがした。

家について扉を開けると、外出前に撒いておいたファブリーズの人工的な“芳香”が私を包んだ。
私は窓を全開にして、その匂いを追い出した。