情報と物体

先日(土曜日)、メロンブックスで好きな同人サークルのCDを手に入れてきました。

そしてPCに取り込んで聴こうとしたのがつい先ほどなのですが、そこで「あれ???」と。

曲名入力をコピペで楽しようと公式サイトを見に行ったのですが、過去の作品一覧ページに記載がない。
3度くらい上から下まで見直しても、反転したりしてもでてこないのです。

――完全によくわからなくなって、名前でググってみると少しだけ情報がでてきて、「なるほど」となりました。


……この高度情報化社会では、物よりも先に情報があることが普通です。たいていは物を買う前にインターネットでその詳細を調べますし、新刊本が出るときは数か月前に予告がなされるでしょう。

今回はそれが逆転していました。お店で物を見て、そこで存在と名前を知って、それから初めて情報を得ることができる。
(もちろん注意深く2chのスレなんかを追っていれば先に情報を得られていたかもしれないわけですが、そういうことをあまりしない私のような者は公式サイトから存在の情報を隠されるとどうしようもないわけです)

こういう経験は奇妙で刺激的で、「なるほど」となったときのカタルシスは素晴らしく、あぁ、良いなぁ、と。

――以上です。

 

というわけで凋叶棕の『虚』を聴いたわけですが、ほんとにもう、ここのサークルは~(誉め言葉)という感じ。 たくさんあって全部把握していなかったので随分昔の奴なのかなと勝手に思って買ったのですが、C91の新譜だったとは……というのも驚きに色を添えていました。 以前の『密』にも隠しトラックがありましたが、今度は存在を隠してくるかぁ、と。 そういえばあっちはドメ インをいつまで保持するつもりなのでしょう。 ドメ インが失効したら隠しトラックは闇に消えてしまいます。 もし凋叶棕のドメ インで再公開されるにしても、あのアドレスバーにアドレスを打ち込むドキドキ感は得られないわけで、そう考えると体験の時間的限定性みたいなものが際立ってきます。 肝心の曲のほうですが、身が震えるようで良かったです。(まだ一度しか聴いていない;新鮮な驚きをもったまま感想を並べたかったから) 私は映画を見に行くとよく打ちのめされてぼうっとしてしまうのですが、凋叶棕の作品にはそういうものがあるように思います。 上には体験の限定性とか書きましたが、映画館でこそ得られる没入の体験と同質なものを、家でヘッドホンをつけ歌詞カードを見ながら恐る恐る聴いていくうちに得られているように思えます。 初めて聴いたときの「そうきたかー」という驚き、感動がなんとも素晴らしいのです。 まあ、そういったところだけでなく曲のほうも好きなのですけれど。 最近は入手困難になる前にと古いものを少しずつ買い集めているのですが、新しくなるにつれてだんだん音が豪華になっていくなと思います。 あと歌詞カードのデザインもだんだんいい感じになっていく。フォントとか。 ……これも曲自体じゃないじゃん。 なんにせよ、曲だけでなくて全体で作品なんだと思えるわけでございます。 今度こそ、以上。