はいふりカメラとゆく京都

 「はいふりカメラ」というものがある。

 スマートフォンなどで使えるアプリ*1で、使用方法は簡単、フレームを選んで写真を撮るだけ。
 それでキャラクターのいる写真を撮ることができる。

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金閣寺。初めてはいふりカメラを使って興奮した。

 はいふり(『ハイスクール・フリート』)といえばそれなりに前のアニメなので、このはいふりカメラが流行していたのもそれなりに前なのだが、当時私ははいふりカメラを使えるような端末を持っていなかった。

 当時はツイッターなどに流れてくるはいふりカメラの写真を「楽しそうだなー」と眺めていたのだけれど、最近になってようやくガラケーからスマホに変更していたので、そういえばと念願の(?)はいふりカメラをインストールしてみたのである。

 これはそうしてはいふりカメラと共に京都を巡った約1ヶ月前の1日(3月11日)の記録だ。


 そもそもどうして京都(の観光地)を巡ったかと言えば、私がこの度クロスバイクを買ったからである。
 それで大学の先輩方と琵琶湖にでも行こうと調整していたのだが、気が付いたらparadigm_9さん(id:CHY72)と2人だけになっていた。
 早朝4時に部室に集合したは良いものの、「琵琶湖もあまり面白みがない」などという話になって突然行先を変えて京都観光することにした。
 急ぐ必要もなくなったからと朝7時過ぎに部室を出発することにし、暇になった私は部室のスクリーンで『刀自の巫女』第8話を見るなどした。
 そんなことをしていたら「某チノちゃんスタバ爆破漫画とかで有名なコメダ珈琲のモーニングを食べてみたい」ということになって、北大路のコメダに行くことに決まった。
 どうしてかコメダで2時間くらい話し込んでしまって、結局コメダを出発したのは10時前になったのである。

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ウィンナーコーヒー

金閣寺

 まずは金閣寺に行った。
 それで初めてはいふりカメラを使ったのが冒頭の写真である。
 ちなみにはいふりカメラは撮るたびに「はい、チーズ!」と言ってくれる。ちょっと恥ずかしい*2

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「貴人の腰掛け岩」みたいなやつ

 金閣寺に来たのはたぶん5回目くらいだ。
 やはり外国人観光客で溢れていた。最近はその多くが自撮り棒を持っている。

 1年ほど前、大学に来てから初めて金閣を見に来た時は(期待値が低かったのもあって)、やけに素晴らしく見えた記憶がある。
 が、今回はそれほどでもなく、「ああ、金閣寺だなぁ」という程度であった。
 金閣寺三島由紀夫の小説の中のもののほうが実物よりも遙かに美しいように思われる。(二次元趣味)

 ただ、この前金沢に行ったので、「これも金沢から持ってきた金箔なのかな」と想像する楽しみはあった。

龍安寺

 次は近くの龍安寺

 ちなみに金閣寺からの道中、折角なので立命館大の中を抜けていこうかと思ったら、休日だったせいで正門以外の門が全部閉まっていて正門まで引き返す羽目になった。
 衣笠は文系キャンパスなのもあってか空気が明るかった。自転車は建物の中の駐輪場に隠されている。建物はいちいちなんか豪華。私立大にいくと金の力を感じる。

 さて、龍安寺と言えばなんといっても石庭が有名である。

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石庭の石はどこから見てもそのうちの1つが見えないようになっているという。

 リアル「枯山水」。
 果たして庭というものはどうやって楽しめば良いのだろう。

 ……私が龍安寺に来るのは2度目だ。
 前回は大学が嫌になって、講義が終わってからだったかサボってだったか定かでないが、平日の夕方にママチャリを飛ばしてここまで来た記憶がある。
 その時は薄暮の中ぼーっと一人でしばらくの間眺めていた。

 でも石庭について特に記憶はない。
 記憶と言えば、もうひとつ有名な「吾、唯足るを知る」のつくばいが予想より小さくて驚いたことくらいである*3

 ましてやこんな休日のお昼時、宗教的な気持ちになどなれるのだろうか。
 ――観光というものは難しい。

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自分が下に降りたら怒られるけど、ね

仁和寺

 龍安寺からきぬかけの路をさらに西すれば、仁和寺に出る。やたら大きな門が目印だ。

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大きさを合わせるのは難しい。

 はいふりカメラはフレームに女の子たちの姿がある以上、それを現実世界のスケールにうまく合わせるのがそれらしい写真にするために必要な作業になるわけだが、これはけっこう難しい。
 上の左の写真なんかはそうとう明乃ちゃんが大きくみえるようになってしまっている。
 はいふりカメラにズーム機能なんてものはない。大きさを合わせるためには自分がうまい場所に立たねばならないのだ。

 世の中には「トイカメラ」というものがある。
 曰く、ピントを調節する機能がなくて、自分がちょうどいい距離に立たないとピンぼけした写真が撮れてしまうという*4
 それでも人はトイカメラに惹かれるらしい。その独特の味と手軽さから。

 それに近いものが、はいふりカメラにはあると思う。
 これは綺麗な写真を撮るためのものではない。写真を撮るという行為を通じて楽しむためのものだ。

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「急いで行かないと…!」

 仁和寺といえば「仁和寺の法師」という何かの古典のタイトルが思い浮かぶだけ(内容は知らない)であって、特にどういうお寺かは知らなかった。
 また、「御室仁和寺」は「みむろにんなじ」と読んでいたが、どうも「おむろにんなじ」と読むのが正しいらしい。
 境内には「御室桜」というらしい桜畑(?)が広がっていた。
 まだ時期ではなかったが、時期になったら見に来ましょうという話をした。結局まだ行っていない。

 御室という名は皇室とつながりが深いことを示すようで、いちばん立派な建物である金堂は、なんと御所の紫宸殿の移築だという。
 たしかに普通のお寺とは違った趣の建物で、「こんなところに紫宸殿があったとは……」と驚いた*5

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仁和寺金堂。残念ながらはいふりカメラではない。

神護寺

 さて、仁和寺近くのお好み焼き屋さんで昼を食べ、最終目的地である高雄たかお神護寺に向かう。

 高雄というと台湾の地名が有名だけれど、京都にも高雄はある。
 そもそも、(Wikipediaの記述が正しければ)台湾の高雄は日本統治時代に京都の高雄から名を借りてつけられた地名だという。京都の高雄はそれくらいには知られた景勝地であったらしい。

 ……そういえば巡洋艦にも「高雄」がいた。
 ちょっと調べたところ、はいふりには高雄型の名前は出ていても高雄そのものは登場していないようだ。


 高雄は京都の北西の山中に入った一帯の名称である。市バスは通じているが、一日乗車券の範囲外だ。

 バスで行けるが一日乗車券の範囲外の「京都の北のはずれ三大観光地」として貴船、大原、高雄の3つが挙げられると勝手に思っているのだが、高雄はその中で最も西にある。
 つまり、左京に住んでいる私にとっては遠くてなかなか行けないところであって、一度行ってみたいという思いがあった。

 高雄へは仁和寺の少し西の「福王子」という交差点から北西へ入る道を行けばよい。そうすれば、「梅ケ畑」と呼ばれる地域に入り、あとはひたすら上るだけだ。

 ……が、上り坂が続く。しんどい。
 実は以前龍安寺に行ったときにもチャレンジしていたのだが、その時は途中で諦めて引き返した。
 「今度は変速付きの良い自転車があるしいけるでしょ」などと思っていたが、別にそんなことはなかった。
 確かに幾分かは楽であったが、体力のなさはどうしようもない。
 結局途中から自転車を押して歩くことになった。

 そして、「神護寺前」というかんじの場所に辿り着き、お土産屋さんにお金を払って自転車をとめたが、その先がまた大変だった。
 駐車場のところからまずはひたすら谷を降りる。すると川があり、橋がある。その橋を渡った先、石段を登っていくと神護寺がある。
 ……つまり、かなりの高低差を歩いて降りて登らないといけない。
 これが既にへとへとの体には大変だった。「ちょっとくらいお金がかかってもここはバスで来るべき所だ」と何度も思った。
 あと、「何故昔の人はこんなところにお寺を作ったのか」という問いも。

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谷の底

 ――ここで残念なお知らせがある。

 (私もびっくりしたのだが)はいふりカメラは圏外だと使えない。
 動作を見るに、どうも毎回フレームをインターネットからダウンロードしているらしい。
 キャッシュとかないのか……。さすがにこれはクソと言ってしまってもいいんじゃないかと思う。

 ……が、それでもはいふりカメラは楽しい経験を提供してくれる。ずるい。
 いくらクソ実装であっても、その一点を以て良いアプリであると讃えたい。


 という気持ちはさておき、つまるところはいふりカメラは電波の届かない山中では使えない。
 また、私のスマホの電池が限界だったということもあり、この先は普通のものも含めて写真があまりない。
 というわけで、本来の目的地にたどり着いたところだが、このあたりではいふりカメラ旅行記は終了である。

 ……神護寺には景勝地というつもりで来たのであったが、実際は歴史の舞台という意味で面白いところであった。
 金堂にお参りしたら、住職さん(?)がお寺の歴史をいろいろ説明してくださった。
 空海最澄を呼んで講義してもらったこと、教科書によく出ている源頼朝の肖像はこのお寺に伝わる屏風のものであること、等々。
 もちろん、「かわらけ投げ」の場所とされる開けた場所から見下ろす景色は綺麗であったけれど。

後日談

 このときはまだはいふりは全く見ていなかったのだけれど、しばらくはいふりカメラを使っているうちに気になってきて、はいふりのアニメを見た。
 「今日も一日何もできなかったし、何かしたい」とかいって深夜に見始めたのだが、全話一気見してしまい、朝になった*6

(以下『ハイスクール・フリート』本編のネタバレを含みます)

 「とりーかーじ」「もどーせー」とか「艦長」とか、そのあたりのアクセントの独特さ*7がとても良い。
 私は声のオタクではないと思っているが、東京育ちのせいか方言にものすごく弱いのである。

 それにやっぱり機械は良い。第一話の晴風出航シーンとか。あの「〇〇戦速」とか表示される計器最高。

 あと艦長の帽子かっこいい。
 ……そういえば高校の修学旅行で函館に行ったとき、友達と港に泊まってた船の写真を撮っていたらそれが海自の船だったために突然声をかけられて、怒られるかと思ったらそのまま船(掃海艇だった)を見学させてくれたということがあったのだが、そのときに艦長の帽子を被って記念写真を撮らせてくれた記憶がある。のだが、その時の写真データを友人からまだもらっていない。はやくもらいたい気がしてきた。なくしていないことを祈る。

 とはいってもあの帽子がかっこいいのは艦長らしい人が被ってこそだろう。「越えられない嵐はないんだよ!」のところは良かった。

 ……勝手にまとめると、「海自アニメ」なのかなあというところ。わりと武器を使っているけれど、結局のところはそれは人命救助とかを目的とするもので、いかにも自衛隊的である。

 もうひとつ。物語のほとんどの舞台がミクロネシアあたりの南洋で、今までこんなアニメがあったのかなぁなどとどうでもいいことを考えた。
 赤道祭で「われは海の子」を歌うシーンは、この南の海の果てで懐かしい響きの歌をうたうということで、日本の海洋進出の昔が想起された(これは悪い意味で書いているわけではない)。

 少し前に読んだ文章にこんな一節があった。

 われわれにとってより深刻なのは、オルテガが警鐘を鳴らす人間と社会の大衆化現象がもっとも顕著に見られるのが、実は今日の日本なのではないのかということである。今年は、第二次大戦を壊滅的な敗北で終えてから五十年目にあたる。この半世紀に日本は、誰も予想しえなかった飛躍をとげた。経済・技術面での大国化とそれに伴う驚異的な富裕化、そしてその結果として、封鎖的な島嶼国という長い伝統から一転して国際社会への参入という有史以来の大転換である。

オルテガ『大衆の反逆』(ちくま学芸文庫)所収 神吉敬三「「ちくま学芸文庫」版あとがき」より)

 (半世紀よりもう少し前、明治時代あたりからではないかと思わないでもないものの、)この「封鎖的な島嶼国という長い伝統から一転して国際社会への参入という有史以来の大転換」というのを初めて意識した。
 私の生まれた時代、この国が国際社会の表舞台でいろいろやっているのは当然のように見えていたが、それは当然などではなく、随分特別なことなのである、と。

 そう考えると、こういう国際協力する感じのアニメが楽しくなってくる。

 ――アニメにも色々あって、「(作画とかが)すごいアニメ」と「記憶に残るアニメ」はどうも別のものであるような気がする。そういった意味で私にとってはいふりは後者であろうと思う。

 劇場版制作決定おめでとうございます。

*1:正しくは”「はいふり」公式アプリ”で、はいふりカメラはその一機能。

*2:音が消せることにはあとで気づいた。

*3:それと、龍安寺自体が大きなお寺であるとは知らなかったのでそれにも少し驚いた。

*4:だいたい『ハヤテのごとく!』に書いてあった知識。写真機を指して「光で時を切り取る機械」というのが抒情的で好きだ。

*5:仁和寺は格式高い寺院であり、これはひとえに私の無知による。

*6:最近dアニメストアを使い始めたのだが、これはもうインフラといえるようなものに感じる。ちょっと気になったアニメの様子をすぐに確認できるし、今まで軽く憧れてきた「半透明にしたvimの背景にアニメ流す」みたいなことが手軽にできる。すごい。

*7:帝国海軍→海自のアクセントを取材しているのだと思う。