平成の終わりに
昨日(平成最後の昭和の日)に大阪に行ってきました。大阪にいることをSlackに書いたら「大正駅で明治のR-1飲むやつやってきたら?」と促されましたが、なにかが嫌でやる気になりませんでした(逆張り的精神性)。そういうところがだめなんですね。
阪大
早朝に出て大阪大学豊中キャンパスに行きました。京都市某所の下宿からバスで15分で河原町駅。そこから阪急と大阪モノレールを乗り継いで1時間弱。じつは秋あたりから阪大に編入することになるかもしれなくて、その下見というところです。しかし案の定休日だったので構内は閑散としていました。下見とはという感じですが、わざわざ行った目的は交通手段の確認です。引っ越すのが面倒なので通えるかなと考えていたのですが、この感じだと通うのもまあ可能かなというところです。
伊丹空港
そのまま大阪市のほうに向かってもよかったのですが、わざわざ大阪モノレール沿いに来たのですから折角なのでと伊丹空港に行きました。 もはや国内線だけしか飛んでおらず、あまり国際色豊かなおもしろいものがありはしませんでしたね……。 ただ、一つ面白いものがありました。
写真がブレブレで残念なのですが、「パタパタ」です。今もこれが残っているのです。しばらく前にツイッターで見てやっぱりいいなと思っていたので、見られてよかったです。 (ツイッターで見たのは伊丹のものじゃなかったかもしれません。私の写真が残念なので、仙台空港の映像を上げていた方のツイートを貼っておきます。だいたいこれと同じです)
宮城で唯一生き残っていた仙台国際空港の「反転フラップ式案内表示機」通称「パタパタ」が役目を終えました。殆どの方がカメラを向けない中、今日も元気にパタパタしてました。ありがとう。お疲れ様。 pic.twitter.com/OFJ1UQm6Wy
— 仙台撮り鉄 (@tetudoub) October 27, 2018
「パタパタ」、私の実家の最寄り駅(西武線)にこういう案内表示がついたときにはもうLED式だった(中央線ほかのJR線もそうだったと思う)ので、私のイメージは近鉄と京阪電車のものです。関西の祖父母の家に来るたびに丹波橋駅で「これいいなぁ」なんて思っていたわけです。あとは電車でGO!の最初。
車体横の方向幕とLED表示ならまだ「明るいときはLEDより幕のほうが見やすい」とか擁護できますが、この「パタパタ」については(雰囲気の良さを除けば)なかなか残す利点も主張できませんね……。平成とともに消えていくものの一つなのでしょう。
空港を一通り回った後は、眠かったので空港のバスに乗ってなんば駅に向かいました。行き先の選択肢はいくつかあったのですが、住吉大社に行きたいと思い、なんばにしました(予定はなにも決めていませんでした)。
住吉大社
なんば駅で喫茶店のモーニングセットを食べた1後、南海電鉄に乗って住吉大社駅に向かいます。
住吉大社は初めてだったので、駅を降りたら路面電車が走っていてびっくりしました。
住吉大社といえば海上安全の「住吉三神」という印象があり、中に入って「第四本宮」を見たときには「あれ?」と思いました。 が、御朱印をもらったときに一緒にもらえた御由緒に、第四本宮には息長足姫命(神功皇后)が祀られていると書かれていました。ひとつかしこくなりましたね。
大阪の街は京都よりももっと前からある古都なのだということを、これを読むまで忘れていました。
ところで「元号の変わり目に御朱印をもらう」という発想が私にはなかったので、そういう話をニュースで見たときにはなるほどと思いました2。今日NHKニュースを眺めていたら御朱印関連の記事に「住吉大社では、29日はふだんの倍以上のおよそ500人が御朱印を受け取ったということです」なんて、たまたま住吉大社が挙げられていて笑いました。
天王寺
阪堺電車に乗って天王寺に行きます。途中「姫松駅」があって盛り上がるなどします。こういう雰囲気なんですね。
あと、路面電車はいいですね。雰囲気がどうというより、バスと違い車より優先されるのがいいなと思います。京都はなんで市電をやめてバスにしちゃったんでしょうね3。
天王寺ではご飯を食べるくらいの予定しかなかったのですが、阪堺電車のなかで面白そうな広告を見てしまったのであべのハルカスに入りました。
たくさん昔の新聞号外が展示されていて面白かったのですが、残念ながら撮影禁止とのことだったので写真はないです。 特に良かったのは、(号外だからか)組版が最近までとても古臭かったと知れたことです。平成22年頃のものまでは句読点の位置すら今のものとは違いました。
あと、入場無料ということでしたが、隣で北海道物産展をやってるんですね。ずるい。
エッグタルトを食べました。おいしかったです4。
NHK大阪
ようやく今日の本来の目的地です。NHKを見てたら平成ネット史(仮)展@大阪の宣伝を見てしまい、つい来たくなったのでした。
ということで谷町四丁目の駅を降りたはいいのですが……
ザ・荒れ地、みたいなところですが、これが難波京跡です。行く気はなかったのですが気づいたら変な方向に歩いていたので来てみました。
公園にしても雑草が生い茂っていてなかなかです5。城春にして草木深し…という言葉をどうしても思い起こしてしまいます。埋まっているよりはいいかもしれませんが。
さて、ここで十分休んだら、本命に行きます。
やっぱりニコニコは大きいです。「ニコニコ超会議」みたいな「ニコニコ文化」的ものにはちょっと馴染めませんでしたが6、それでもニコニコがなければ今の私はいません。「組曲ニコニコ動画」を知らなければひぐらしにハマることもなかったし、東方を知らなければプログラミングはしてなかったと思うし、ニコニコ大百科のエロゲ記事を読み漁ることがなければ哲学に興味をもつこともなかったのです。
小さい会場で、いちばん「エモ」かったのはこの掲示板かなと思います。
インターネットの歴史の展示会でなんとも皮肉なのですが、手書きのメッセージの雑然とした集積は「愛」を感じさせます(なぜでしょう?)。横では大きな画面にかわるがわるインターネットの意見が映し出されていて、すごいしきれいだったのですが、それでもこれとは質が違うのです。「場」を共有することが大事なのかも知れません。文字コードに含まれない文字画像の情報から、人の姿が思い浮かぶからなのかもしれません。あるいは整っていないことが大切なのか。
インターネットと情報機器はたくさんのものを置き換えたけれど、それが捨象してきたものは何なのか。単なる懐古としてだけでなく、考えていきたいですね。
* * *
さて、平成が終わります。 以前はインターネットをみると(特に私はIT系の記事を見がちなので)「元号は廃止しろ」といった意見を多くみましたが、ここ一年くらいの盛り上がりをみるとなんだかんだ人々は元号を愛しているのかなという気がいたします。
私は、元号はあってほしいなと思うところです。 こういうことを考える時、「飴のように伸びた時空間」という言葉が思い浮かびます。しばらく元ネタがわからなかったのですが、高校の教科書に乗っていた次の文章だろうとわかりました7。
今は知らぬが、私が小学生のころは校長室が怖かった。その場所が危ないからではなくて、それが学校という「共同の幻覚」(柳田国男)によって区切られたタブーの場所だったからである。おそらく、こういった幻想的な空間が廃絶されることはないだろう。たんにかたちを変えるだけだろう。中学生になれば、もはや校長室などを馬鹿にするが、やはりまた別の何かに恐怖するように、いたるところにこういう幻想的な空間がある。
だから、われわれは生きた感性的な空間と、さらに共同体や国家のような幻想的な空間とをもっている。ところで、第三の空間がある。それは均質でのっぺりとひろがった空間である。地図のような空間だといってもよい。要するに感性的にも幻想的にも区切られていないで、密度も濃度も均等な空間なのである。たとえば、柳田国男は、登山客が地元民にとってはタブーの地を平然と通過することを例にあげている。登山客にはそういう空間は見えない。なぜなら、現代風の「登山」が成立したのは、もともと均質・均等な空間が成立したとき以来だからである。
これは空間について言っていますが、時間についても同じだと思うのです。 古典物理学の描くリーマン多様体としての時空間は、「意味」のない均等な時(空)間です。 元号のつくる時間はこれと対局に、人々の生と結びついた(「平成を振り返る」企画がたくさんあるのが例になりましょう)、国家という共同体の幻想的な時間でしょう。 意味をもった時間が、人にとって必要なのだと思います。
(西暦であっても「新年」を「新世紀」を祝うでしょうから、西暦が均等な時空間であるとはいいません。こんなことを書き始めたのは、元号が「均質な時間」を壊すという理由で攻撃されるのは違うのではないかという気持ちがあった気がしますが、よくわからなくなってきました。少なくとも元号の名自体に願いが込められているという点と長さでは西暦との違いはありますが……)
* * *
論っぽいことを書こうとしたらわからなくなったので、感想を書きます。
新元号が発表されるまでは「平成が終わる」と「微妙な新元号だったらどうしよう」といった気持ちでどこか不安だったのですが、「令和」が発表されて暗い気持ちは吹き飛びました。未来はあるのだ明るく未来を生きていこう、という気持ちになりました。「オトナ帝国」みたいに。
新しくなった世界を(こう感じられるのが元号の功です)新しく生きていきたいです。
最後に、天皇陛下に感謝を。