ことのは日記(1): pravda vítězí

連載企画「ことのは日記」は、日常で見て気になった、調べてみて面白いなと思った言葉や表現を紹介していく企画です*1
言語学とかは特に勉強していない素人が、辞書なりWikipediaなりをソースに調べてみました!」という記事になります(いかがでしたか?)。
できる限り正しさには気をつけますが、あんまり内容は鵜呑みにしないでくださいね。

初回の今日は “pravda vítězí” です!(週一回くらいは書きたいなぁと思います)
それと、ここは敬体で書きましたが本文は常体でやっていこうかなと思います。




さて、今回とりあげるのは pravda vítězí (見えづらいので拡大)であるが、これを見て何語か分かる日本人はどれほどいるだろう。
ヒントは ě の文字で、この文字が使われる言語はかなり少ない。

なんて言ってもこのヒントで分かる人も少なかろう。私も分からない。
答えを書くと、チェコ語である。

„pravda vítězí“チェコ語で「真実は勝つ」という意味だ。
上では普通の(アメリカ英語式の)二重引用符を使ったが、チェコ語では引用符はこのように前のほうを下げるらしい。

チェコと聞いて皆さんは何を思い浮かべるだろう。
チェコボヘミアベーメン
中学の音楽の授業で習った、「ボヘミアの深き森に生まれし川よモルダウよ」から始まる「モルダウ」の歌を私は最初に思い出す*2民族主義の薫り高い、チェコの作曲家スメタナの手になる曲だ。

世界史の授業で習ったことだとどうであろう。
近いものだと、社会主義を緩和しようとするもソ連邦の戦車の前に敗北した「プラハの春」。
第二次世界大戦の頃だとズデーテンラントの割譲あたり。
近世まで遡ると、三十年戦争のきっかけになったプラハ窓外放擲事件が印象深い。

そして、三十年戦争より更に少し遡ってみると、ルター(ルーテル)の生まれるよりもっと前に、宗教戦争がこの地にあった。フス戦争*3

今回の„pravda vítězí“は、そのフス戦争の名の由来、神学者ヤン・フス(Jan Hus)の言葉とされている。
彼の墓に刻まれている他、現在のチェコ共和国の国の標語モットーにもなっている。

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ヤン・フス肖像画。作者不詳。

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チェコ共和国大統領旗

私にとってフスは「フスの火刑」の絵を教科書で見たくらいの印象しかなく、そもそも最近ゲームで知るまではチェコの話であったことすら知らなかったが、フスは宗教改革のさきがけの一人である。
その信じたものが「正しい」ものだったかについては神学の話題であるから私には判断できないけれど、その真実を求めた姿はかっこいい。

というか、

この成句は彼の「真実を探求せよ、真実を聞け、真実を学べ、真実を愛せ、真実を語れ、真実を抱け、真実を守れ、死ぬときまで」という言葉に由来すると信じられている。

というのがあまりにも良い(なお、この一節の出典は英語の文献だけしか示されていなくてチェコ語原文がどうなっているかについては確認できなかった)。
この格好よさが第一回にふさわしいかなと思ってこれを選んだ。

  *   *   *

さて、この句のうち„pravda“が「真実」、 „vítězí“が「勝つ」にあたる部分なのであるが、これを見て何か気づかないだろうか。

……そう、「プラウダ」である。

ソ連共産党の機関誌、«Правда»(プラウダ)。このПравдаは「真実」を意味するロシア語である(それで「プラウダに真実はない」とか揶揄されている)。
このキリル文字ラテン文字に翻字するとPravdaであり、チェコ語の「真実」と同じになる。これは(まあ当然ながら)偶然ではない。

チェコはドイツに近いので言葉もドイツに近いのかと思いがちである(私は思っていた)が、チェコ語はスラヴ語派。即ちロシア語と同系統の言語である(遠いロシアのと仲間の言語がこんなところにと思ってしまったが、分布の地図(スラヴ語派 - Wikipedia)を見るとポーランド語あたりも同系統なのでべつにここだけ離れているわけではない)。
そんなわけで、長らく神聖ローマ帝国オーストリア帝国支配下にあったにも関わらず、ここはドイツではない国なのである。

ちなみに、チェコ語は難しいことで有名だ。
文法も難しいらしいが、「世界一発音が難しい子音」というのが面白い。
これは ř の音のことなのだが、r と z を同時に発音するような音という。Youtubeに発音のしかたの解説動画があったので試してみたが、とても発音できる気がしなかった*4

Pronunciation 001 - The Czech Letter Ř

この音がでてくる機会が稀なのならともかく、実は日本人もよく知る人の名前にすら出てきてしまう。
新世界より」で知られる作曲家ドヴォルザーク、その「ルザ」のところがこの子音なのだ。
発音を聞いてみると、とても「ドヴォルザーク」とは聞こえなくて「ドヴォジャーク」みたいななんともいえない音が聞こえる。
カタカナで書いていては気づけない「難しさ」がこんなところにあるのである。


ということで第一回は終わり。こういう言葉と歴史の面白ネタを書いていきたい(それなりに書き留めたネタのストックがあるので)。

*1:もうちょっと良い名前ないかなぁと思っています。案募集中です。

*2:この曲はもともと歌詞のあるものではなく、日本語歌詞は後に日本でつけられたものである。しかもこの歌詞にはたくさんの種類があるらしく、私の知っているこの歌詞はインターネットで調べがつく限りはなんと「作詞者不明」である。

*3:今知ったが、フス戦争のきっかけもプラハ窓外放擲事件らしい。チェコ人は窓から人を落とすのが好きなのだろうか。

*4:巻き舌ができなくてロシア語のрすら発音できないクソザコなので……