マギレコアニメの面白かったところ集

明けましておめでとうございます。

去年はマギレコのアニメ2期をめちゃくちゃ楽しく見ました。マギレコについては一度1期6話終了後に書いていた(マギレコアニメ中間感想 - すずしめにっき)のですが、それ以降書いていなかったので、面白かった・興奮した場面で章立てしてマギレコについての感情を書いておきたいと思います。

――という原稿を途中まで書いたまま放置していたのですが、主にアニメ版の結末についての妄想を書きたくて書いたものであって放送されてしまうと意味を失うので、今のうちに公開しておきます。あとで答え合わせしたい。


※ゲーム版マギアレコード第一部及びアルティメットまどかキャラストーリーのネタバレを含みます。

1期13話の灯花ちゃんの演説シーン

大前提として私は里見灯花ちゃんが大好きなことを書いておきます。が、ここでまず驚かされたのは演説自体ではなく演説を背景音楽にしたマギウスの翼の集会の様子。なんと秋野かえでさんがマギウスに加入していたのです。確かに数話前でかえでさんがドッペルを発動して不穏な空気はあったのですが、まさかマギウスの翼加入とは。「一部改変はあるけどアニメ用に縮めたくらいかな」との思い込みを打ち砕かれます。アニメ2期に向けての「話の筋がゲーム版とは変わっていくぞ」という宣言です。これに興奮させられたのは間違いないです。

で、灯花ちゃんのファンとして演説の内容にも触れておきましょう。灯花ちゃんの演説を書き起こしたものが以下になります。

魔法少女のみんな。
かつて希望を抱き、いつか絶望を振りまく魔法少女のみんな。
ねぇ、みんなは魔法少女になったとき、何をお願いしたの?
自分のために願った人、他人のため、夢のために願った人、いろいろだよね。
人間は、よりよい未来を夢見て、何かを願うことができるの。
それって、とってもすごいことだよね。
人類は1300万年かけて、文明を築き、社会をより良くし、科学を発達させてきた。
願う力が、ずっと人類を前進させてきたの。
それこそが、キュゥべえの持っていない、人間の願いのポテンシャル。
だとしたら、願いの力で奇跡を起こす魔法少女は、最も人間らしいといえるよね。


でも、現実はどう?
わたくしたちという感情は、誰にも顧みられることもなく、傷つき倒れ、その命を散らしている。
魔法少女は、ただ己の運命を嘆き、呪いを振りまくことしかできなかった。
しかも、わたくしたちの希望が、絶望が、都合のいいリソースとして消費されているとしたら?
誰かのためにこの感情が踏みにじられ、搾取されているとしたら?
そんなことが許せる?
ううん、絶対許せない。
わたくしたちは、誰かのための商品じゃない。
魔法少女の同志たちよ。
わたくしは信じてる。
この感情が願う力は、わたくしたち自身の運命だって変えられる。
きっとキュゥべえだって想像もしてない。
魔法少女は、どんな奇跡だって起こせるの。
わたくしたちの希望は、誰にも利用させない。


マギウスはみんなに未来をあげる。
わたくしの作ったドッペルシステムがあれば、もうソウルジェムが濁りきって、魔女化することはないんだよ。
マギウスは、一人でも多くの魔法少女を救いたい。
みんなも協力してくれるよね?
あなたたちはマギウスの、ううん、今を生きるすべての魔法少女の翼となるの。
もし邪魔するやつがいたら、みんなで力を合わせてやっつけよう?
マギウスは、魔法少女の明日へと続く、たったひとつの道しるべ。
わたくしたちは、必ず魔法少女を解放する。
そう、魔法少女は、マギウスによって救われるの!

灯花ちゃん~~~というかんじ。演説がうまい。なんとなくナチスっぽい印象を視聴者に与えつつ、革命家としての里見灯花ちゃんが本領発揮する場面です。

私がこのマギアレコードの物語が好きな理由の一つは、設定の社会に対する批評性です。「持つ者」と「持たざる者」の物語。あるいは「強い者」と「弱い者」の物語。Brexitやトランプ現象以降の世界でよく語られる「忘れられた人達の叛乱」をストーリーの中に組み込み、そして物語としては「どちらが正しいか」で回答を与えずに「勝った方が正義」とするような潔さが好きなのです。

蔑まれてきた神浜の「東」の魔法少女や能力が足りなくて日々悩む者。現状に不満をもつそういった「持たざる者」を里見灯花ちゃんはまとめ上げ、革命を起こそうとします。それに対峙するのが七海やちよや環いろはたち。魔法少女の過酷な運命にも関わらず、金銭的に恵まれていたり、友人がいたり、強かったりして彼女たちは相対的に現状に満足している。だから、犠牲を伴うマギウスの革命は受け入れられない。言わば、これは保守派が綺麗事とともに革命を叩き潰そうとする物語なのです。それをいろはちゃんの立場に沿って描いていくのが邪悪で、そういうところが大好きです。作者の思想は悪役に語らせろとはよく言いますよね。

加えて、持たざる者たちを率いている灯花ちゃんはじめとしたマギウスが才能にも金銭にも恵まれているという構図がいかにもインテリに率いられてきた現実の革命そのものですし、この演説の中にも現実の革命を想起させる要素があります。たぶん灯花ちゃん本人は怒りなんて感じていないと思うのですが、「ううん、絶対許せない」と怒りを表明し、怒りの感情で連帯を呼ぼうとしている。よく政治団体が「私たちは怒っています」と掲げているように、現状を変えるには怒りを利用するのがいいことを使っているわけです。「わたくしたちは、誰かのための商品じゃない」のところは大学で演説していた中核派の人を思い出してくすっとしてしまいました。

最後の方の盛り上がったところで出てくる「たったひとつの道しるべ」もなんとなくサッチャーの「この道しかない」を想起させますが、それ以上にまどマギ本編の印象的な台詞を悪役の演説で引用する悪辣さに大笑いしました。とはいえ、これも単なる悪趣味ではなくてよく考えられているはずです。本編における「道しるべ」は鹿目まどか、そして外伝たるマギアレコードにおける「道しるべ」はマギウスなのです。このマギアレコードの世界の立て付けは、円環の理と化したまど神さまが唯一触れられなかった世界だというものですが、それはつまりまど神さまによる救済を拒否した世界だということです。なぜ拒否するかといえば、それはまどかの願いに頼らずに魔法少女を運命から解放するから。本編ではほむらの愛で強くなったまどかの犠牲によって魔法少女が解放されたのに対して、外伝では弱い魔法少女たちが協力して魔法少女を救おうとするわけです。この世界ではまどかも死なないわけで、もうトゥルーエンドですよね。本編ストーリーに喧嘩を売っているような、マギウス――いや、里見灯花ちゃんが主人公の物語がマギアレコードなのです(断言)。

2期2話で万年桜のウワサが出てきたところ

1期の最後で仲間が軒並みマギウスの翼に入ってしまってからずっと思っていたのが「この先どう展開させるんだ」ということです。原作ストーリーではマギウスの翼に入ってしまった仲間達を徐々に取り戻していってから最終決戦に挑む訳ですが、それをやるには明らかに尺が足りない。すると七海やちよ軍にはいろはちゃんくらいしか残らないわけで、どう考えても戦力不足です。「鶴乃ちゃん編(第七章)はカットかなぁ」くらいのことを思っていたところで万年桜のウワサが登場し、「一気に進んだ!??」と驚いたのがここでした。

その後もいろいろ同時進行で話が進んで読めないので楽しかったです。遊園地がホテルと合体したところは吹きました。

2期4話のかえでがドッペルを出すくだり

黒羽根の衣装を着たかえでちゃんかわいい!……と思っていたのにドッペルが暴走してしまいバトルが始まります。ここの作画はほんとすごかった。何度も何度も観ました。

「今までだってこれからだって、かえでちゃんを助けられるのは誰?」「そんなのレナに決まってる!」はちょっと狙いすぎではと笑いましたが、それでもいいもんはいい。そして、明かされる「ドッペルを使いすぎるとドッペルの姿から戻れなくなる」という設定。ここで「は??」となりました。ゲーム版だと結構雑に使ってた印象(ゲーム的にも必殺技だし)だったので、そんな重い技だったとは…と*1。それにしても、ここでドッペルの姿でだけしかアニメ版で登場できなかった子たちはかわいそうでしたね……。

2期8話の天気予報

2期最終回。目の前の敵は倒して目的を達成し、一件落着といった雰囲気の中、ほむらは携帯でテレビを見ます。そこで語られるのは、スーパーセルは進路を変えて見滝原に向かうという予報。

ここは叫びました。いままで散々「ほんとにゲーム版と同じような結末に至るのか?」と思うような展開の差異があったわけですが、これは媒体を変えたことによる調整では済まされない、明確な展開の変更です。つまり、結末が変わるだろう、と。というのも、この後ゲーム版と同じ結末に至るためには、ワルプルギスの夜が神浜に来ることが必須の条件であると思われるから。ワルプルギスの夜が見滝原に向かえば、まどかは死に、またループを繰り返すいつもの展開になる可能性が高い。ゲーム版マギアレコードと同じトゥルーエンドにこのアニメ版では辿り着けず、バットエンドになるのではないかという予測が、この天気予報で立ってしまったのです。

で、そうなるとここまで様々なところで展開が違ったのも説明がついてしまう。「アルティメットまどかの救済を拒む唯一の世界」のはずが別の世界になってるじゃないかという違和感あるいはつっこみは、この世界でマギウスによる救済が失敗することによって整合性がとれる。何故か柊ねむさんが記憶を取り戻していたのも、ゲーム版のように灯花ちゃんが記憶を取り戻す過程を挟まなくても物語を視聴者に語るための設定変更であるとすれば合点がいく。つまり、この世界では何も解決しないまま三人+一人の過去をただ柊ねむが語るだけ語って幕を閉じる……。

まさかそこまで考えて…と震えましたね。いかにも邪悪で素晴らしい。

とまあこれはただの妄想ではあるのですが、そうなってほしいなぁ……と思いながら、この文書を残しておきます。

*1:灯花ちゃんねむちゃんのドッペルについては設定資料集に使いすぎると死ぬっぽい設定が書かれていましたが、それ以外はないはず…?