後期がそろそろ半ばを越えて/学生自治の話/二重登録の話

二ケ月弱あった夏休みはどこかえ消えてゆき、かわりに大学の憂鬱を置いてゆきました。と書き始めた記事の下書きがずっと残っていたのでいたので書き足して公開します。

少なくとも私は望んで大学に来て望んで物理学を学んでいるわけでありまして、その学習の手段として提供されている*1講義を受けるのは良いことでこそあれ、悪いことではないはずですが、一体どういうわけであるか大学に毎日通って講義を受けるのに愁いを感じてしまうのです*2
履修登録をしないで夏休みを4ケ月延長!」とか冗談を言ってみたりはするものの、まあ私にそんなことをできる勇気があるわけもなく、今までの3半期のようにいささか多すぎる講義の履修登録をして、忙しい、つらいとかいいつつ半期をなんとかのりきるというようなことになるのだと思います。実際今になって振り返ると、行かなくなった授業も多く、少なくとも今までの四半期の中では一番時間を取れている気はします。
一年くらい休学したい気もするわけですが、事実上の留年のようなことになるとなると大学に行く気がなくなって中退するようなことになりそうだなとは思うわけです*3
理想形は「卒業要件を満たした状態で卒業請求をせずに大学に留まる」でしょうかね。いまのところ京大理学部では卒業の条件(4年間在学すること、系登録してから2年間経過すること、所定単位を取得すること)を満たしたうえで卒業の申請(学士試験合格認定申請)をしない限りは卒業できないので、卒業申請を敢えて出さなければ大学に留まることができるはずです。単位は全部取っているはずですから、休学すれば学費も払わなくて良いはずです。理想的なモラトリアムですね。院試に全落ちでもしない限りやらないとは思いますが。


そういえば最近以前日本女子大の「休学費」についてのブログが話題になっていました*4。読んで最初に思ったのは「大学当局に嘆願書を出して、それが認められなかったらそこでお終いなのか……」という感想でした。そこで唐突に終わってしまってなんか拍子抜けしてしまいました。当局に要求するなら、もし受け入れられなければ説明会の開催を要求したりだとか、立て看板をだしたりビラを撒いたりして広告するとか、そんな光景を日常的にみているからでしょう。個人的に嘆願したのならともかく、学生自治会の決議を得た自治会としての要求がそんな簡単に諦められてしまうのは不思議だという感覚がありました。
去年私が入学してからだけでも、吉田寮の入寮停止通告、総合人間学部仮承認団体の廃止という2つの大学当局の決定が学生の諸団体による抗議によって撤回されているのをみています。是非はともかく、それくらいの力は学生にあると思っています。

……最近の(とはいっても昔を知りませんから昔からかもしれません)京都大学当局のやり方はかなり強引だなと感じています。たとえば上に挙げた「総合人間学部仮承認団体の廃止」は、かつて教養部公認団体であったサークルが教養部の廃止のあときちんと全学公認団体に引き継がれていない中途半端な状態であったのを是正するという名目のようでしたが、かなり露骨な政治系サークル*5潰しでした。そのなかでかつてあるサークルと結んだ「確約書」をよくわからない理由で握りつぶしたらしく、それが事実ならばそうとう好き勝手やっているなと思うわけです。相手が何であれ、嘘をついたり約束をたがえたりするのは良くないという感覚があります。
そういうことがあったにして基本的には他人事ですから、当局がおかしいと思うから頑張ってほしいと心の中では思っていても、とくになにかすることはありませんでした。一回生へのTOEFLの強制受験に対する不満なんかもありましたが、主にそれを主張していたのが過激派たるところの「同学会」*6だったので大っぴらに応援しづらいところもありました。

一度だけ、自分から大学に文句をいいたくなったのは、二重登録の廃止が通知されたときです。昨年度まで理学部では理学部科目の二重登録*7ができましたが、今年からはそれができなくなりました。それがわかったのは、昨年末に教務窓口に張られた、次年度から履修登録が教務情報システムKULASIS上で行うように変更される旨を書いたプリントのしたのほうにあった小さな脚注によってでした。
今まで二重登録ができたことが異常だというはなしはありますが、それについてはいま京大基礎物理学研究所にいらっしゃる佐々木節さんの文を引用しておきます*8

 先ほど触れたように,当時の京大教養部には学生運動の余波が色濃く残っており,まだまだ正常に授業や試験が行われる状況には程遠かった.しかし,理学部キャンパスの方は比較的落ち着いていた.さて,その当時の京大理学部では,3,4回生向けの理学部専門科目を1回生から履修することができるだけではなく,講義の時間帯が重複していても何の問題もなく単位の取得が可能であった.しかも,単位認定は,学生が各講義の担当教官から成績を記入した「履修カード」をもらい,それを各自が自分の履修記録表に貼り付けたものを教務掛に提出する,というシステムであった.すなわち,万一単位を落としてもその落第記録は残らないわけである.あるいは「可」の成績がついた科目は,翌年度に再度履修して「良」や「優」などのよりよい成績を取れたら,「可」の履修カードを捨ててよりよい成績を記録に残す,という裏技(?)も可能であった.つまり,授業が難しくて単位を落とすのではないか,という不安をあまり感じることなく,安心して履修ができたわけである.そこで,さすがに1回生からの履修はしなかったが,2回生になると,背伸びをして専門科目をいくつも履修したものである.
 現在はコンピュータによって履修が管理される時代になっており,このようなことはもう不可能なのかもしれないが,思い起こすとこの当時のシステムは,私のようにグータラで,しかし学問に対する憧れだけは強い学生にとっては,真にありがたかった.失敗を恐れずに,面白そうと思った科目はすべてまずは履修してみる,ということが可能だったからである.

私はまさにこの「グータラで,しかし学問に対する憧れだけは強い学生」ですから、とてもありがたかったのです。去年は後期にひとつだけ、2回生向けの統計力学Aの授業と1回生向けの物理学基礎論Bの授業を二重登録していました。最初のほうは統計力学の授業にでていて、途中でついていけなくなって諦め、後半は物理学基礎論Bの授業にでてそちらの試験を受けて単位をとりました。もし二重登録の制度がなければ最初から統計力学の授業に出ようとは思わなかったでしょう。

それが突然廃止されるとなったのです。私はいてもたってもいられなくなり、噂を聞いたその日に理学部教務掛に行って話をきき、それが撤回されるようなことはないか、などと聞きました。今は担当者がいないから話が聞きたいならまた後日来てくれ、などといわれてしまいました。
その後、いろいろ考えたのですがやはり、そのまま諦めてしまいました。
こういった制度を残すことは来年入学してくる後輩への責務ではないか、そんなことを思ったりもしたのですが、やはり一人で話を聞いたり文句を言いに行ったりするのは怖かったのです。

この時に初めて自治会の大切さが身に沁みてわかりました。「私が理学部自治会とつながりがあればなぁ」と思いました*9。個人として行くのと自治会の決議を経て自治会の代表者として行くのではこちらの安心感も相手の対応も違うでありましょう。
寮と当局の「団交」などでは学生は顔をマスクなどで隠して、本名も伏せて発言しているといいます。それ以前の私はこういう話を聞いても大げさだなと思うくらいでしたが、実際に一度交渉してみようかと考えてその気持ちがよくわかりました。
はっきりいって怖いです。普段からいろいろとお世話になっている教務の方々やもしくは教授などにそういう人として顔を覚えられてしまうのを考えると、かなり気まずいです。
団交という形式にしろこういう顔を隠す方式にしろおそらく労働運動に由来しているのだと思いますが、当事者になってみてはじめてわかる偉大さでした。


さて、その後私はいろいろあっていくつかの「学生自治」の場に立ち会うことになりました。それで知ったことは、「自治は面倒くさいし大変」ということです。また、大学に入る前に漠然と想像していたような綺麗なものではないということです。
大学の自治とかいっても、結局は小さな政治です。お金の絡んだ話だとか本音と建前の使い分けだとか既得権益の確保だとか恫喝だとかそういった汚いものもたくさんありました。そして、「民主的」であるためにはたくさんの会議を開くなどしなくてはならず面倒です。

けれど、それでも自治を行おうとするのは、それに切実な理由があるからでしょう。私も理学徒ですから「政治などには関わるものか」と思っていたのですが、気づけばいつのまにか参加することになっていました。それは自分のあるいは周囲の人の利益を守るためです。仙人ででもなければ政治に関わらずいることは不可能であることに気づきました*10

自治が面倒くさいのは当然です。面倒だからと「上」にすべての決定権を委ねることもできます。近年は政治への関心が薄く、地方自治体選挙は言わずもがな国政選挙ですら投票率が低くなっています。この豊かな社会の中で政治の切実な必要さを感じなくなった人々は着々と「委任」の方向へ傾いていっています。

もしかすると「委任」の方が良い結果を導くのかもしれません。が、この大学で未だなお各所に「自治」のしくみが残っているのは、やはり権力への懐疑が根強いからでありましょう。私としては、この大学にくらいはこういった香りが残っていてほしいなと思うのです*11

*1:学費を以てその権利を買っているのですが。

*2:このブログでも幾度となく言っている気がします。

*3:大学入試で浪人しているし、そのことはほとんど気になっていないことから杞憂という気もする。

*4:http://www.manazooooo.com/entry/2016/10/09/171855

*5:哲学研究会とピースナビ。私は右翼を自称しているので彼らの意見とは相いれないけれど、そういう団体が存在しても良いと思っています。たとえば学園祭からは毎年追放決議がだされている原理研統一教会の宗教サークル)なんかも全学公認団体だったりするわけで、公認団体なんて自由に認定すればいいのになと。

*6:主に中核派のひとたち。

*7:同じ曜日・時限のコマに複数の授業を履修登録すること。ハーマイオニー

*8:数理科学編集部編「物理の道しるべ」(サイエンス社) 112ページより

*9:本当は理学部自治会評議会は誰でも参加できるわけですが、いかんせんよく知らない組織なので躊躇ってしまったのです。

*10:地方自治は民主主義の学校」という言葉がありますが、こうやって「自治」が政治の意味に気づかせてくれるということではないかなと思います

*11:東京大学にはそんなものは期待できませんから。京都大学は絶対に「ミニ東大」に堕してはほしくないものです。